7.なぜ下田が日本最初の開港地となったのか
ペリーは浦賀、鹿児島、松前など数カ所の開港を要求しましたが、幕府は応ぜず下田を提案しました。韮山代官江川太郎左衛門の意見によるものです。その理由は、
- 浦賀は江戸に近すぎ、下田は江戸と大坂の航路上にあり大船が碇泊出来る港で、江戸から近からず、遠からずの位置にあるという地理的なこと。
- 下田は江戸初期から船改番所が置かれ、それが浦賀に移った後も浦賀奉行の出先機関が置かれ警備上の事は問題がない、さらに陸側は天城山で東海道に容易に出られないと言う警備上の事。
- 下田に船改番所が置かれたり、風待ち港であったことから、船の入出港、船用品の積み込み、これらに関する複雑な事務を処理する能力が下田の町自身に備わっていた。
などのようです。