4.韮山代官江川太郎左衛門
伊豆の入り口、韮山に、世界遺産の反射炉、国の史跡江川邸などがあります。江川家は伊豆、相模や甲州にかけての幕府の直轄地を支配する代官の家柄です。幕末の当主は江川太郎左衛門英龍で、彼は行政官であるとともに、蘭学を修め、高島秋帆に砲術を学び海防や大砲や鉄砲の権威でもありました。品川のお台場は彼が造りました。反射炉も彼が作ったもので大砲などを造る製鉄所や工場です。
当初下田に造りかけたのですが、ペリー艦隊が入港して、見られるのを嫌い、韮山に移転して完成させたものです。
彼は外国船からの攻撃に備え、農民の子弟を訓練して兵隊にしました。これが「農兵」です。三島民謡の「農兵節」はこの農兵のことを唄にしたものと伝えられています。「きおつけ」「まええすすめ」などの号令は彼が考えたと言われています。
日本最初の開港場に下田に白羽の矢が当たったのは、海防の専門家でもある江川の支配地であったことも大きな理由です。