10.下田で事実上の貿易が始まる
開港場下田の役割の一つにアメリカの船(後にはロシア、イギリス、フランス等も)に、航海に必要な水・石炭・食料などを供給する事でした。それらを欠乏品と言いましたが、アメリカ側は航海に必要という名目で、織物・漆器・陶器・雑貨なども買っていきました。奉行所ではリストを作り、供給できる物とできない物(刀、鎧等の武器、地図・書籍類、なぜか大工道具、卑猥な絵等々)を区別し、織物・漆器等みやげと思われる物は市価の1.5~2倍で売らせ、売り上げの3割を冥加金(一種の税金)として奉行所に収めさせました。
ここに展示の物は供給したものの一部の残りです。
幕府は町の中に外国との応接所を兼ねた欠乏所を建て、下田の商人12人を決め、見本を陳列し、奉行所役人を通して品物とお金のやりとりを行いました。なおペリーとの交渉で1ドルは一分(現在の2~3万円)で計算されました。(後ハリスとの交渉で1ドル=三分となる)色々制限はありましたが、下田で事実上の貿易が開始されました。