なまこかべぇ先生の歴史講座

19.下岡蓮杖

日本最初の職業写真師で、日本写真術の開祖と言われています。

幼名を桜田久之助ひさのすけと言い、画家を志し、江戸に出て幕府の御用絵師・狩野董川かのうとうせんの弟子になるのですが、ある時写真を見て、この技術を学ぶ決意をしました。アメリカのペリー艦隊やロシアの使節は写真師が随行していました。日本には蘭学の一部門として知識は入っていたものの、まだ技術が伝来していない頃の話です。

蓮杖は下田のアメリカ領事館などを訪ね歩きますが、写真術の習得は難しく随分苦労しました。ある時横浜で、ジョン・ウイルソンという人物から、自分の描いた風景画86枚と交換にカメラなど写真器材一式を手に入れ、遂に写真撮影に成功しました。そして文久2年(1862年)横浜で日本人最初の写真スタジオを開きました。

1854年下田が開港され、事実上の貿易は下田ではじまります。しかし、横浜が開港されると下田の港は閉鎖され、外国船に商品を売っていた下田の商人達は横浜に進出しました。蓮杖が写真館を開いたのはその下田商人達の店の近くで、横浜の馬車道の近くです。

蓮杖はもともと狩野派の絵師で董圓とうえんと号し、晩年の画は多く残っています。石版画、油絵、やきものなどの作品もあります。一方幕末から明治にかけての日本で、文明開化の時代を先駆けした人で、東京 ― 横浜間の鉄道馬車を興し、牛乳販売などの事業も行っています。写真1枚が2分から1両であり、この利益をつぎつぎとこれらの事業につぎ込んだようです。

ここには、蓮杖の石版画や、香合のやきものほかを展示してあります。

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