17.領事館の勤務員
ハリスは秘書兼通訳のヒュースケンを伴い下田に着任しました。香港から5人の中国人を連れてきましたが、身の回りの世話をする召使を雇いたいと下田奉行に要請し、ハリス付きとして村山滝蔵16才、ヒュースケン付として西山助蔵15才(共に数え年)を雇いました。2人はハリスの江戸出府にも随行し、江戸善福寺の公使館でも勤務しました。ハリスの後任の公使プリュインにも仕え、滝蔵はプリュインの帰国にあたりアメリカに一緒に行きました。(助蔵は家族の了解が得られなかったためそのまま公使館に勤めました)
滝蔵、助蔵は玉泉寺の領事館に住み込みの勤務でしたが、近くの住民が、馬丁、水くみ、掃除夫などとして通いで勤めました。給料は滝蔵、助蔵が1月1両2分、通いの日当は400文でした。(この頃大工、石工などの一人前の職人が月2両程)
助蔵のご子孫の家には領事館や江戸の公使館に勤務したときの遺品が伝わっています。ここに展示してある老中安藤津島守、久世大和守からハリスに当てた書簡・助蔵手書きの英和辞典などです。
助蔵の英和辞典は約5,000語あり1830年にバタビア(インドネシア・ジャカルタ)でロンドン伝導会のメドハーストが出版した「英和・和英語彙集」をヒュースケンが助蔵に貸し与え、それを写して英語の勉強に使ったようです。
滝蔵も助蔵も武士の子供ではありません。身分は下田奉行所の足軽でしたが、奉行所のあった中村のお百姓さんの子供です。下田の農民出身の若者の努力に頭が下がります。また当時日本の識字率は世界一であったと言われますが、この字引を見ればそれもうなずけます。